人類はこれまで、科学の力で多くの感染症と闘い、それらを克服してきました。

近代細菌学の父と言われたロベルトコッホは、炭疽病菌、コレラ菌、結核菌を発見し、人類社会が、細菌、ウイルスと闘う先駆けの役割を担ってきました。ところが一方で、文明の進歩は、拡大主義の方針を掲げ、未開拓の土地への進出を始めました。

そこで出会ったのが、思いもしなかった新たなウイルスの出現です。

 

未知なる感染症ワールド。

人類は、天然痘や狂犬病を克服しましたが、近年では、それをあざ笑うかのように、エイズ、SARS,鳥インフルエンザなど免疫疾患や、呼吸器系に重大な障害を与える病気が登場しています。

南米出血熱(ブラジル出血熱、ボリビア出血熱、アルゼンチン出血熱、ベネズエラ出血熱)のような病原体も出現し、感染症と戦ってきた先達の努力がまったく及ばない、新たな感染症ワールドが現出していると言えるような世界が広がっています。

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エボラの登場

おそらく、医学の進歩で完璧に感染症を手篭めにしたと思っていた人間社会に、このような形でウイルスからの逆襲を受けるとは、誰も思っていなかったに違いありません。

進歩の裏側に潜んでいた未知なるウイルスが、人間の勝利宣言を踏みにじるように、大見得を切って登場しました。そのひとつがエボラ出血熱です。

 

自然・環境破壊の逆襲

エボラ出血熱の原因を考える場合、他の感染症の病原体も含められるのですが、人間の飽くなき膨張主義というか、森林伐採とかの開拓による自然への進出、極端に言うと自然破壊の行為が、接触しなくてもいい動物と、否応なく見えるもとになり、それが、新たな病原体との接点を生み出しています。

多くの病原体の登場は、人間のこうした活動が、動物の体内に宿っていた病原体に、わざわざ眠りから覚ますようなチャンスを与えていたと言っても、過言ではないでしょう。

 

現に、エボラ出血熱の病原体は動物由来で、人への感染は、発症・死亡したオオコウモリやチンパンジーやゴリラ、サルなどの霊長類、牛科のレイヨウ、ヤマアラシとの接触が、一因になっているようです。これも、開拓という行為がなかったならば、現れなかったかも知れません。

 

異なる文化・習慣と無知

エボラ出血熱の流行で、問題にしなければいけないのは、初期感染もそうなのですが、実際には、感染した後の対応に、パンデミックの要因がありました。

それは、無知と慣習、文化の違い、そして、西洋医学への拒否姿勢が、これほどまでの患者を生み出し、死者の数を拡げたのです。具体的には、無知なるがゆえに、医療関係者が追い出されたり、病院が襲われたりしています。

発症・流行した地域で、罹患した患者の血液や体液から感染するという正しい情報を知っていれば、感染者を隔離できただろうし、医療の行為そのものが違っただろうし、埋葬前の死者を送る際にも、身体を拭いたりしての別れを惜しむ行為がなくなったはずです。

最も、中央アフリカで拡がったエボラ出血に関しては、西アフリカの国々の人々は、ほとんど知らなかったのですから、仕方がないと言えばそれまでですが、現実には、毎日、バタバタと亡くなって行くこの状況を見ても、これまでの慣習をチェンジするまでには至らず、どうしたって、文化的な壁を乗り越えられなかったことが、事態を深刻化させていることに繋がっています。

 

教育の壁

最近になって、エボラ出血熱の知識も普及しているようですが、正しい認識を持たせるためには、どうしても教育が必要となってきます。

判断を迷わす迷信や呪術に頼らないようにするには、時間がかかるかも知れませんが、教育を持ってして、それをやり遂げることが大事です。

それができれば、患者が増えることはありません。