過去アフリカの西、ギニアで最初の発症が見られたエボラ出血熱。あれよあれよという間に、すぐ隣のリベリア、シェラレオネへ、そして、ナイジェリアへと感染エリアは拡大し、全世界を恐怖の坩堝に陥れました。

日本でも大騒ぎになったことは、皆さんの記憶に新しいことでしょう。

因みに2015年の4月10日付の世界保健機関(WHO)の発表によりますと、西アフリカでの患者数は25,556人(ギニア3,524人、リベリア9,862人、シェラレオネ12,170人)。※数値は変動の可能性あり

死者は10,587人(ギニア2,337人、リベリア4,408人、シェラレオネ3,842人)になっており、一時の勢いは影を潜めながらも、実に、感染者の4割強(致死率最低でも20%)の人が亡くなっています。イギリスでは、WHOにより2015年3月10日にエボラ終息宣言がだされましたが、身近なアメリカにはだされておりません。(感染例は過去報告されてます)

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エボラ出血熱は40年前から・・・・・。

エボラ出血熱が話題になったのは、今から40年ほど前の1976年。中部アフリカに位置するコンゴ民主共和国(旧ザイール)、スーダンでの発症が最初でした。

コンゴ民主共和国のエボラ川周辺で発症したところから、エボラの名前がついています。その時、スーダンでは284名が感染し53%にあたる151名が亡くなっています。

その後、発症先はコンゴ民主共和国に移り、318名が感染、280人もの人が命を落とし、診察に当たった医師の中にも死者がでています。結果的には、600人を超える患者のうち70%の人が亡くなっています。

 

突然のパンデミック。

その後、ガボン、ウガンダでも発症が見られましたが、1995年、再びコンゴ民主共和国での発症は、悲劇的でした。

キクウイットという町の病院が舞台で、244人が亡くなり、何と、そのうちの100人以上は医師だったそうです。2000年代に入り、ウガンダでは425人患者のうち225人が亡くなるなど、ガボン、コンゴ民主共和国で小規模ながら流行が見られました。

それから10数年の年月を経て、2014年になって、突然ギニアで大量に、しかも中部アフリカ以外の西アフリカエリアでの発症だっただけに、世界に与えたインパクトは強烈でした。

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エボラはどんな感染症なのか?

それでは、エボラ出血熱とはどんな感染症なのでしょか。これから、それを明らかにしていきましょう。この病気は、まさにエボラウイルスが原因の急性の熱性疾患です。

この疾患には、他にもラッサ熱、マールブルグ病、クリミア、コンゴ出血熱などがあり、いわゆる、ウイルス性熱出血疾患のひとつなのです。
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※出典元 Google画像検索

 

症状が進み深刻な状況になると、体中の毛細血管や粘膜などに、全身症状として出血が見られます。

 

エボラウイルスは5種類。

エボラウイルスは、形はU字であったり、紐のようであったり、ぜんまいのようでもあり、短いところで80~100nm(ナノメートル)、長いところでは700~1500nmで、これまでにエボラウイルス病を起こすウイルスとしては、ザイール、スーダン、ブンディブジョ、タイフォレスト、レストンの5種類が確認されています。

参考までに、1ナノメートルは、百万分の1ミリの長さになります。

想像もつかない単位のウイルスということになります。

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今回発症したウイルスの遺伝子情報の分析では、以前発症した中部アフリカのコンゴ民主共和国、コンゴ共和国、ガボンで発症した強力なザイール種に近いエボラウイルスであることがわかっています。

このザイール種は他の4種類ウイルスに比較すると、極めて病原性が高いため感染力も強く、致命率が高いだけに、多くの患者さんが悲劇に遭っています。

 

発症率が下がってきているとは言え、この1ヵ月の患者数は、1,206人増え、死者も583人も増えています。この間の致死率は48%強となり、まだまだ油断できない状態が続いています。